戦略「脳」を鍛える、という本を読んだ

コンセプトとレンズで、戦略を発想できる、という本。

とても役立ちそうだ。

 

わかりやすく平易に書かれているが、

コンセプトや考え方が洗練されていると感じた。

 

「戦略」というと、ややアカデミックな理論的枠組みの話になりがちな気がするが、

この本では、実務で使えるように落とし込まれているところがいいなと思った。

ただ、実際に考えて使ってみる、という作業は不可欠で、

これを読んだからといってすぐさま切れ味鋭い戦略を考えられるというわけではない。

 

『使う力』なども拝読したが、

さまざま試行錯誤をして能力をものにしてこられた方、という印象がある。

あと、情感豊かというか、そのあたりもすごい。

 

たった1000円ちょっとで学べるのは安い。

 

本を読んだりするときに気づいたことなど

要約 ある作業Aに取りかかる前に白紙のノートに疑問とか進行手順とか、この作業を終えてどうなっていたいのか、なぜその作業をやるのか、ゴールはなんなのかを書き出してから、作業に取りかかると、何も書き出さずにとりあえずはじめてみた場合と比較して明らかに混乱せずにすむからやってない人はやったほうがいいのではないか、という話。

 

 読書するなどのある作業Aをはじめるとき、ひとまず読み始めてしまうと、本の内容はろくに覚えてもいない。しかもなにか行動や発想が変わるわけでもなくただ文字だけ追っている状態に陥ったりする。

 また、例えば、年賀状を書く、というシーンについて考えてみる。「あれ、年賀状この人に書いたっけ?」、「あの人にはこのデザインで、書き出しは・・・」、「ちょっと名前の位置がおかしい、いや待てレイアウトがおかしい、作業が終わらない・・・」などという事態に陥りがちではないだろうか。

 誰もが経験した事があるのではないだろうか?と思う。そして、なんとかならんかな、と一度は考えた事があるかもしれない。

 なぜそういう行動をとってしまうのか?様々要因はありそうだが、きっと、ある作業Aの前には、心理的問題として、見積もりが甘くなる、というのがあげられるのではないか。

 上記の例で言えば、「要するに本読んで理解すえばいいんでしょ」とか、「年賀状はやく書き終えちゃいたいし、まあできるっしょ」といったように、甘く見積もりがちだったからこそ、引き起こされた問題であるように思える(自分もそうです)。

 では、なぜ見積もりが甘くなるのか、その原因はひとまず保留にしておくとして、「見積もりは甘くなりがちである」という考えは、システム開発者が納期を遅く設定したりとか、締め切りに間に合わないとか、そういう例からもわたしだけではなくて、割と一般的な問題なのではないかと思われる。

 ということで、経験則に従えば、多くの人は、将来の予測とか、見積もりが苦手なように思える。

 では見積もりが甘いとどうなるか。上述のように、納期遅れや、締め切りを反古にしてしまう、といった事態をひきおこす。そうなると今度は関係者が怒り始める。となると、自分が怒られる。怒られるのはつらい。そして、ヒステリックになって怒る大人を見るのもまた辛い。

 この辛さはなんとかして回避したい、というのが人情と思われる。

 そこで、作業に取りかかる前に、白紙のノートにいろいろ書き出してまとめてみると、これが作業効率アップできていいよ、という話。

 ※さらに付け加えると、午前中にやるといいです。

 

 

論理にはまる

演繹

真理保存的である。

情報は増えない。


帰納

真理保存的ではない。

情報は増える。

アブダクション、自然帰納、プロジェクション、アナロジーがある。


日常生活においても、ある事実から鋭い洞察と展望を引き出せるかどうかで、パフォーマンスは容易に変わってくるように思う。


so whatで、だからなんなのだ?とつなげていくことと、

why soで、なぜそうなのか?を繰り返し深く掘っていくことで、

思わぬ気づきに行き当たる。


ある業界のある企業とまたある別の企業にいる人が一人残らず全員論理的であるとすると、判断も同じになってしまうのではないか?

少なくとも似てきちゃうんじゃないのか?